松山猛の台湾発見「台湾古代の赤」

松山猛・著『てすうと』より
(1993年、風塵社刊)  麗しの島、台湾。その東海岸各地には、少数民族中最も多くの人口のアミ族が暮らしている。 明の時代ごろから入植をはじめた漢民族よりも、はるかな昔から、この中国大陸に寄りそうようになった島には、海洋を移動して来た民族が住んでいたのだった。
 アミ族の他、パイワン、ルカイ、ヤミ、タイヤルなどいくつかの系統に分かれる彼らの多くは今、けわしい中央山脈の奥深く、あるいは周辺の島に住み、独自の生活形態を守っていて、漢民族とは別に山地同胞と呼ばれている。
 アジア太平洋地域の地図を、思い浮かべていただきたい。インドネシア、マレーシアからフィリピン、そして台湾を経て、沖縄の島々の先に我らが日本はある。これら火山性のチェーンによってつながった島々を伝って、古代の人々は往き来をしていたに違いないのだ。
 古代に大陸の影響と、別系統の渡来者によって変化した日本。のちにスペイン、アメリカからの影響を受けたフィリピンとは異なり、漢民族と境界を接しながらも、これら台湾の先住者は独自の文化を譲らなかったように見えた。
 彼ら少数民族どうしには、共通の言葉がないのだそうだ。つまり彼らは別々の場所から別々のタイミングで、この島にたどり着いたと見る向きが多い。
 むしろ日本統治時代に伝わった、日本語が彼ら共通の言葉となった時代もある。今でも、親が話せるので片言くらいはと、ていねいな日本語を知る若者もいるくらいだ。
 そのアミ族の、夏の祭りである「豊年祭」に出かけてみた。他の部族が漁労、あるいは猟の人々であったのに、このアミ族は漁労と稲作を中心とした生活を営んでいる。つまり原日本人に、最も近いライフスタイルの人々である。
 8月の半ばに「豊年祭」が行われるのは、この常夏の国が二毛作だからだ。農耕は春作と秋作の2回。その端境期の夏半ばが、彼らの農閑期なのだったからだ。
 台北の松山空港から国内線に乗り、中央山脈をひとまたぎ花蓮に着く。空路だとほんの軽い旅だが、陸路にはいくつもの難所があって半日はかかるらしい。 
 めざす「豊年祭」の会場は、光復号という村で、花蓮から車で2時間余りの太平洋岸。この東海岸中部は、台風の通り道であると同時に、地震多発地帯という、あまり有難くない土地柄である。
 行政院新聞局がくれたジャーナリストのバッジを胸に、会場に着くと汗がほとばしり出た。1万坪ほどの大広場には、すでに各地からアミ族の人が集り、たいへんな人出になっていた。
 テント小屋では、竹筒で炊いたご飯なども並んでいて、いろいろおいしそうな匂いが満ちている。神様に供える「油飯」。これは油を加えて蒸した味つけご飯だ。海の幸、山の幸を 用いた素朴なおかずも並んでいる。会場はまるで生きた民族博物館のようだった。赤、青、黄、緑の原色の衣装の乱舞である。
 女性たちの伝統の服はひときわ鮮やかで、髪飾りから足もとまで、祝いの日の盛装がすばらしい。
 圧倒的に目立つのが赤色で、これは古来赤という色が、虫除けなどの薬効ある色と認められていたからに違いない。