松山猛の台湾発見「凍頂山を行く」 | [webChronos]

松山猛・著『ちゃあい』より
(1995年、風塵社刊)  唐の時代、陸羽という人があらわした1冊の書『茶経』に、茶は南方の嘉木とある。
嘉木、つまりよろこばしい植物として、唐代にはすでに中国の13省に及ぶ、茶の産地があった。類稀な香りを持つ茶の、その洗心の味覚は同時に、病を防ぐ効能にも優れた飲み物として認められていたわけだ。 南方というのは広大な中国大陸の、長江より南。はじめは野生の大木であった葉の大きな茶の木は、やがて人の手によって、あちこちに植えられ、その苗の一部は、禅僧によって日本にも伝えられた。
 ひと口に中国茶と言っても、それを分類すると簡単に400種にも及ぶ。それだけ喫茶の歴史が長く、また茶はその地方の食生活とともに発達し、味を改良されたからであろう。 烏龍茶の源流は福建省にある。武夷山という山地の茶だ。その茶の苗が17世紀に、海峡を越え台湾にもたらされる。300年ほど前から福建、広東から多くの人が台湾に新天地を求め移住を果たし、やがて茶も海峡を渡るのだ。台湾は九州と同じくらいの面積の島嶼だがその6割方が山地である。中央山脈は背骨のように中央を貫き、その西側の山麓や平地に、たっぷりと水を潤す。緑濃き麗しの宝島と、古くから賛美されてきた島はまた、口に楽しく心を洗う良き茶の国でもある。
 南投県は地質的にも、烏龍茶のふる里、福建に似ていた。武夷山と同じように台湾の山地の地質は水はけが良く、しかも多雨多湿、からりと晴れるかと思うと、突然霧に包まれもする。茶には少々過酷な気象が相性良いのだ。 南投県は亜熱帯のほぼ南端、もう少し南には北回帰線が横断し、まぎれもない熱帯が、もう目の前にある。凍頂烏龍茶のうまさに魅せられて以来、一度はその産地を歩きたいという願いがようやく叶い、僕は鹿谷郷凍頂山の山上、蘇家の古雅な邸宅の石畳の前庭で一服の茶を喫しているのだった。 凍頂山は緑濃い鳳凰山系を背景にした高度のある台地でその急な斜面に茶畑が開かれていた。鹿谷郷農会のテラスで、どれが凍頂山ですかと尋ね、農会の人が指さした眼前の風景こそ、近年上質のチャンピオン・ティーを生み出している山なのだった。そこには独特のクバ笠をかぶった茶摘みの人々が、針の先くらいの大きさに見えた。目をこらすと、その点のような20人余りの人影が、ゆっくり、ごくゆっくりと畑の間を移動している。 風吹茶花満園香、採茶姑娘一群群
 不怕太陽凍頭頂、千里青山採茶茶 いよいよ来たのだ、という実感があった。